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【連絡事項】一年ぶりです

Blogではご無沙汰しております。
約一年ぶりの更新です。

正直、このBlogはこのまま放置で終了しようかと思っていたのですが、それも不義理であろうということと、読みなおす時が楽という理由でこちらで報告です。

この1年間のことをだらだらとレスポンスを期待せずに書きますので、まぁ無理に読む必要もレスを返す必要も無いです、という前振りでなんか嫌な話なんだろうなぁと予想は着くと思いますので、これをもって注意書きとさせていただきます。

さて、1年間Blogを放置していた理由ですが、Twitterに移行したからというのが一番の理由ですが、近況が書くに書けなかったというのがもう一つの理由です。

結論から書くと、平成22年4月4日に父が倒れ、平成23年4月30日に他界しました。
享年64歳。
この1年間での手術回数9回という闘病生活でした。

病名としては「大動脈瘤」になるのだと思います。瘤の箇所によってまた色々と名前が変わるようなのですが、うちの父の場合は、ほぼすべての大動脈が瘤状になっていたため、もう何がなにやら。

時系列で追うと
平成22年4月5日:腹部大動脈瘤が破裂、大学病院に救急車で運ばれ緊急手術、一命を取り留める。
4月06日:日帰りで実家に行く。
4月25日あたり:父、退院

同6月上旬:胸部大動脈瘤の手術のため再入院
6月09日:父手術。10時間で終わる予定が、止血に5時間かかり、計15時間の大事に。
6月10日:実家(北陸)に行く。術後の検査でなんだかんだでえらいことに。
6月12日:母方の祖父逝去。89歳の大往生。でも葬儀だのなんだのでえらいことに。
6月15日:大幅に予定を送らせて帰宅(関東)
6月26日:私たち、新居に引越し。
7月上旬ぐらい:父、退院。

9月上旬ぐらい:地元の病院で胸腹部大動脈の手術について相談するも、すごいことを言われる。
9月18日:セカンドオピニオンに関東の病院へ。関東の病院での手術即決(父が)

10月10日:入院前カンファレンスで両親日帰り関東。
10月30日:父、関東の病院に入院。母、うちに居候という名のおさんどん。
11月02日:胸腹部大動脈の手術。予定通りに問題なく終わる。
11月中旬:経過が良いようだったので、母が地元に帰る。
11月下旬:経過が悪化(感染症による肺炎と手術痕の治りが悪い)。母が呼び戻される。
12月11日:退院。というか父がごねて病院に見放される。傷口は塞がっていない。

12月20日ごろ:傷口の悪化と高熱を出して、地元(北陸)の大学病院に再入院。教授にめちゃくちゃ怒られる。
12月27日:手術。傷口から出血しているので、開いてみたら、肋骨とすれて人工血管に穴が開いていたらしい。1日ずれて、28日だったら年末年始で先生方が居なかったので、死んでいたと言われる。
12月28日:私だけ北陸に帰省。
12月31日:関東に戻る。積雪により電車が遅れまくる。越後湯沢での待ち合わせ時間の寒さは格別であった。

この後は聞いていないのですが、月に1度のペースで感染症の消毒のために手術していたようです。
本来は人工血管の感染症は人工血管ごと取り替えなければいけないらしいのですが、気力、体力、ともに持たないであろうということで、消毒と抗生物質で頑張っていた様子。母があまり詳しく教えてくれない。

平成23年4月18日(月)早朝:おそらく転倒が原因で大出血。開いてみたところ、人工血管と生身の血管をつないでいる部分で、生身の方がボロボロで繋ぎ目が裂けていたとのこと。
同日、夜:教授から「もって明日の昼まで」という宣告が下り、私と2の人、夜行バスで北陸へ。
4月19日(火):駅について速攻でタクシーにのって大学病院へ。若い先生から「まだ持たせられます」と言われて気が抜ける。大学病院なので、先生がたくさんいて、言うことが違うので、なんだかもう良く分からない。
4月20日(水):一旦、関東に帰る。ちなみこの時点では、父は意識はないものの(点滴で鎮静剤を入れているので、意識が落ちている状態)、話しかければそれなりに頷いたりはしてくれていた。
4月22日(金):仕事が終わってから私だけ北陸に。ちなみに教授からは「今週末で終わりでしょう」と言われていたものの、週末を乗り越える父。ここでも会話は出来ないなりに反応はしてくれていた。
4月24日(日):関東に帰る。そして北陸で風邪を引く。
4月28日(木):仕事が終わってから北陸に行くことを予定するも、病院の先生から「安定しています」との発言があったようなので、風邪も治らないことだし29日(金)は家で静養して、30日(土)から帰省、という予定をたてる。
4月30日(土)4:15ごろ:息を引き取った旨の連絡が入る。(心停止は4:02であったらしい)

5月2日(月):通夜
5月3日(火):葬儀

5月8日(日):母方の祖父の1周忌の法要、のち帰宅

まぁ、こんな感じで。
色々、書き忘れていることもあれば、意図的に書いていないこともあり。
狭心症と、高血圧と、糖尿病を持っている人間がこれだけのペースで体を切っていれば、そりゃ無理だったかなぁとも思ったりもする。
最初に倒れた時点での既往歴が、狭心症、脳梗塞、黄斑円孔、高血圧、糖尿病と来ていたので、「あぁ、こりゃうちの父は平均寿命まで辿り着くことは無いな」と姉と二人で納得はしていたんですが、母に取ってはなぁ。
ちなみに、父が医者から「数値からすると死んでいなければいけない」と最初に言われたのは47歳の時でした。そこから64歳まで足掻いたんだから、頑張った方だと思うんだ。

しかし酷いゴールデンウィークであった。
来年も1周忌の法要あるんだよなぁ。49日も百ヶ日も納骨もあるんだよなぁ。
なんか色々考えていたら、正社員辞めてからこちら縁が切れていた肩凝りが復活してしまい、早く解放されたい毎日です。基本母に丸投げとはいえ、そうとばかりも言っていられないしなぁ。

半分、覚書なのでとっちらかったまま終わらせます。

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コメント

ツイッターで、最近忙しそうだなぁとは気になっていたのですが・・・

お父様、大変だったのですね。お悔やみ申し上げます。

手術回数もらまさんの往復回数も半端ないですね・・・

投稿: れて | 2011年5月12日 (木) 00:01

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